スープストックに救われた日

今日は楽しみにしていた『ショーイング・アップ』の先行上映だったが向かう電車でどうしても体調が悪く、新宿で途中下車をした。(体調不良と言っても二日酔いに伴うものであるのだが)

 

少し外の空気を吸って落ち着いたものの、依然として気持ちが悪く、映画を観る体力はなかった。

ケリー・ライカートのオンライン登壇もあり非常に心苦しくはあったが無理はしないでおこうと家に帰ろうと思った。

学生時代であれば這ってでも行ったと思うが最近は無理をしなくなった。これが大人になるということかのかな、と少し切なくも感じる。

 

空腹であったことも体調不良の一因だと思い、何か食べたいと駅のカフェを覗いたが、パンやコーヒーは口に入りそうになく、諦めて帰ろうかと思った矢先、スープストックの看板を見つけた。

 

スープしか食べられない胃腸であったため藁にもすがる思いで入店した。

しかし座席を確保してレジを見ると長蛇の列。

さすがは新宿の土曜日である。スープ1杯飲むのにも数十分かかる。とはいえスープを飲める他の場所を思いつかず列にならんだ。

 

野菜のミネストローネを頼んで一口飲んだ。

生き返る思いがした。大都会東京でスープをいつでも飲める、そんなオアシスがここにあったのだ。外食であっさりしたものを食べることは難しいと常日頃思っている。(スープストックがあっさり、に入るかは別として揚げ物やボリューミーなランチではないという意味合いで)感謝の気持ちでいっぱいになりスープストックの誕生についてネット記事を読んだ。コロナ禍も含め苦難の道であったようだが今までになかったものを世の中に作り出すことで、世界を変えてしまう影響力にビジネスの面白さを感じた。今まで仕事というと生活のためという認識が強かったが、そんな影響力のあることが仕事ならできるんだと思った。

 

私はかなり趣味に近いことを仕事にしていて、仕事は趣味の延長という感覚であった。だから楽しくやっていたのだが、自分の仕事が誰かの役に立つことがあればそれはとても幸せなことだと思う。自分のためではなく、そんな仕事ができたらなと思った。

 

体調を崩して映画は観られなかったけれど、少し前向きな気持ちになったある日の午後の記録。

健康のことを考える

久しぶりにペプシを飲んだ。コカコーラじゃなくてペプシ。柑橘系の酸味が立っていて美味しかった。

 

ここのところ日常の疲れが溜まっているのか、体調が優れない。季節外れの暑さのせいもあると思う。あとは不規則不摂生な食生活及び睡眠不足。

 

体年齢と精神年齢が合致する瞬間はこの先あるのだろうか?いつまでも無理をして休んでを繰り返していそうな気がする。

今夜は栄養のあるものを食べて久しぶりにお風呂にでも入って早寝をしたい。

久々の休肝日にしようか。

坂本龍一を聴いて観て。

https://open.spotify.com/track/6sCQENpJPJHuSMsKqXSxky?si=kOfVbFUFR7WzeuagMHG92Q

Aqua/坂本龍一

 

東京国際映画祭で「Ryuichi Sakamoto | Opus Neo Sora」を観た。この映画は以前友人と観に行った「Ryuichi Sakamoto Playing the Piano 2022」に7曲出された全20曲完全版とのこと。

 

再見の部分も多かったがやはり素晴らしかった。

編集も何だかこちらの方が人間味が現れているように感じた。

 

前回は109シネマズプレミアム新宿で鑑賞し、今回はTOHO日比谷だったこともあり、音の聞こえ方も違う感じがした。109の方は目の前にピアノがあるような生演奏感に近く、TOHOの方は空間に広がるコンサートホールのような聞こえ方だったと思う。どちらが良い悪いではないが109の方が緊張感があり映画よりもライブ感が勝る点でこの映画には合っていると思った。

 

とまあ色々書いたが今日は仕事で疲れていたこともあり途中で寝てしまった。でもそれもまた映画体験であることをちゃんと書いておきたい。

これは友達の受け売りであり元は濱口竜介の言葉であるのだが「寝て醒めたとき、目の前で投影され続けている画面からは、極めて特殊な「充実」の感覚を受け取ること」がある。

これは本当に充実した感覚であり通常の睡眠からは得難い何かがある。

情報の連鎖によるハリウッド映画的な物語構造から脱却した映像もまた映画であり、劇場でしか味わうことのできない豊かさだと感じる。

そりゃあ起きて最後まで観ているのが1番良いのだけれど、坂本龍一のピアノを聴きながら暗い映画館でウトウトする時間がとても気持ちよかった。

家飲み日和

CSファイナルステージ1試合目!

久しぶりに野球を見れて楽しかった。

友達からもらったアペロールという食前酒を飲み観戦。飲みやすく美味しかった。本場でも飲んでみたい。スーパーで買ったウオチーのピリ辛マグロも美味しかった。

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夕飯はリュウジのアラビアータ。かなりうまく出来て美味しかった。これもまた友達からもらった名古屋ビールが進む。

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飲みながら野球を見て、仕事もダラダラと続けた。今日は久しぶりの1日在宅勤務の日であったが仕事はたくさんありバタバタした日は続く。

 

その後は足の踏み場が無くなった部屋を片付けた。ウイスキーを飲みながらだったのもあり2時までかかったが綺麗になった部屋は心地が良い。

飲み続けているのもあるのかまだ小腹が空いている。この時間の空腹感は食べるか食べないか非常に迷う。どうせまだ寝ないから食べても良いのだけれど。

 

溜まったドラマも見たいし本も読みたいしもう少し飲んで夜更かしをするのも悪くないかな。秋の夜長を言い訳にして。

大奥 医療編とインフルエンザ

https://spotify.link/UXohYqRvYDb

風を吹かせて/never young beach

 

今日もたくさん働いた。10月からメンバーの入れ替わりがあったが徐々に良い雰囲気になってきた気がする。

 

遅くに帰宅してコンビニの麻婆豆腐丼を食べながら酎ハイを飲む。今日は『大奥』医療編第三話を見て号泣した。

人は理解できないものが怖い。漢方が覇権を握っていた江戸時代、蘭学は異端のものとして扱われていた。そんな時代に赤面疱瘡という病気を克服するために予防接種を発明しようと奮闘する人々が描かれている。その後の時代を生きている僕は昨日インフルエンザの予防接種も受けたしワクチンというものが病気のリスクを軽くするものと理解している。それは医学による裏付けがあるから。でもそれが分からなかったら?よく分からない病気を針で腕に注入するよりも、恐ろしい病に罹らないように祈ったり漢方薬を飲んだりするかもしれない。目の前のことだけが真実ではなく、その後ろにある原因を探究することの大切さをこのドラマを通して日々学んでいる。

今回のエピソードは「ありがとう」という言葉もキーワードであった。何のために生きるのか、どうやって生きるのか。時代や環境が違っても、このテーマは人類普遍だろう。

 

コロナ禍を経験した我々は『大奥』と同じ状況をついこの間目の当たりにしたではないか。だからこそ、こんな時代だからこそ見て考えるべきドラマである。

 

少し熱った左腕の感覚を感じながら。

半濁点の気持ち。

https://spotify.link/RRP7x1iBWDb

待ち時間/OGRE YOU ASSHOLE

 

眠い。朝から晩までバタバタしていた。

バタバタとよく言ってしまう。LINEではたまにパタパタと半濁点に変えて打つが、誰からも「飛んでるやないかい!」と突っ込まれたことがない。

半濁点の彼らは濁点の反対という認知のされ方だけで自分の名前が無くて可哀想だ。

 

10時に過ぎに帰ってペペロンチーノを作って食べた。あ、また半濁点。

 

ドラマ「下剋上球児」を見た。

ドローン撮影が国内ドラマでも使われてるんだな。松平健が良い貫禄。鳥谷も俳優デビューしてて笑った。菅田将暉の弟も良いな。今度は濁点ばっか。

文化的休日⑤

待ちに待った文化的休日。

雰囲気の良いカフェで近況報告をしながらカレーを食べる。エリックサウスのカレーはやっぱり上手い。
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そこから清澄白河の現代美術館へデイヴィッド・ホックニー展を見に行った。ホックニーとの出会いは大竹伸朗の著書「既にそこにあるもの」を読んだ時のこと。この本は、今日遊んだ友人におすすめされて昨年読んだ。そこに書かれていたホックニーに興味を持ち、こうして一緒に展覧会に行けたことが何だか嬉しい。

美術館へ向かう道中、友人が西東京と東東京の雰囲気の違いについて「言語化できない何かがある」と語っていた。東京で生まれ育った人の中にも東西の感覚があるのが面白いと思った。街の雰囲気というものは確実に存在するもので、今日一日を通しても実感することになる。

 

ホックニーによる、複数の視点を一つの世界で表現する試みがとても面白かった。

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彼の描く絵画には複数のショットが存在して、一枚の絵はそれらのショットが積み重なったワンシーンなのかもしれない。だから人物を描いた肖像画においても視線が合わないし、画面内の空間の生合成はたまに曖昧になる。遠近法を熟知しているからこそできる人間の認識への挑戦がとてもアーティスティックだった。

 

また、春夏秋冬の4つの時間、同じ道を同じように撮影した映像作品の空間があった。

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毎日映像を見て、たくさん写真を撮っているのにこうしたアプローチについて検討したこともなかったことに少し悔しい気持ちを覚えた。

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僕は何においても肉眼で鑑賞することに優るものはないと考えているが、ホックニーの展覧会は時間と視野という2つの要素に重点が置かれた作品が多く、また作品が非常に大きいため身体性を伴った作品鑑賞を楽しむことができた。久しぶりに鑑賞前と後で自分が生まれ変わったような気分になる展覧会であった。

 

展覧会を後に心地良い疲労感を抱えながら一息つく。変なタイミングでお土産を交換した。僕は帰省した時のお菓子を渡し、友人からはピカソの缶入りシガールを貰った。ヨックモックミュージアムにも行きたくなったし、素敵なプレゼントを選んでくれて嬉しかった。展覧会のお土産って良いなと思った。自分にばかり買いがちであるからたまには誰かへのお土産を展覧会で選んでみたい。

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その後は友人が何度も通ってるという古着屋さんに向かった。ここが非常に居心地の良いお店で素敵な服を買った。着た瞬間肌に馴染んで、着て来た服だっけと錯覚を覚えた。友達と服を選ぶのが楽しかった。

 

そうこうしてるうちに喉が渇きお腹も空いて来たのでビールで喉を潤すことにした。気になっていた洋食屋でビールとフィッシュ&チップス。サンクスゴッド!

清澄、蔵前の人たちは近付き過ぎない自然な距離感で人を迎え入れてくれる。今日行ったカフェも古着屋もバーも。この街の雰囲気はここで生活する人々が作っているのだろう。

 

軽めに食べた僕たちは二軒目に行かず、隅田川で語らうことにした。コーヒーを片手に。これがなんとまあ最高の気分で学生時代の時間の流れを久しぶりに思い出したような、そんなゆっくりとした空間だった。

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既にいい時間にはなっていたがもう少し話したかった。友人も同じ気持ちでいてくれたようで、もう一度お昼に行ったお店で飲み直した。ジンを水のように飲んで身の回りに起こったことを話した。

 

友人は力強く芸術の可能性を語る。僕も同じ気持ちではあるが、仕事柄商売として見ている側面が強くなっていて、世の中を変える力を持っていると本気で信じられてるだろうかと自問自答した。仕事は勿論利益を上げなきゃならないけれど、儲かるものと同時に、自分がやりたい、自分が信じる芸術に向き合えばいいんだと考えを新たにした。

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真剣な話と駄話を交互にしながら僕たちは歩いていく。

少しずつ考え方や感じ方が変わることを恐れず、知性と感性と芸術を信じて大人になっていきたい。