ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド大予習!(ネタバレ無し)

8/30公開のクエンティン・タランティーノ第9回監督作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を観る前に!頭に入れておくべき事前情報をまとめ記事です。

ハリウッド、アメリカの歴史を踏まえて作られて本作、69年に生まれていなかった世代がこの映画を100%楽しむために必要な予備知識をお伝えします!
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1 ヒッピームーブメントとは何か

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60年代後半に起こったカウンターカルチャー

ベトナム戦争が激化する中、保守的な政権による伝統と制度からの解放を目的とし、自由を求めて野生的な生活を求めたムーブメント。

彼らは自由・愛と平和(LOVE& PEACE)・フリーセックスを提唱し自然との調和やコミューン、実験農場での集団生活によるユートピアを理想とした。

音楽とドラッグとの結びつきが強く、ムーブメントの中心にはロックンロールがあった。

 

2 シャロン・テート殺害事件

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1969年8月9日、前年に映画監督ロマン・ポランスキーと結婚したシャロン・テートが、チャールズ・マンソン率いるファミリーの一味に殺害された事件。

実はチャールズが敵意を抱いていた相手はシャロン・テートでもロマン・ポランスキーでもなく、ポランスキー邸の以前の所有者、音楽プロデューサーのテリー・メルチャーであった。以前ミュージシャン志望であったチャールズはその夢を叶えられず、個人的な逆恨みから凶行に至ったとされる。(予告編に使われている Paul Revere & 楽曲The Raidersの「Good Thing」のプロデューサーがテリー・メルチャー)

悲しいことに、殺害されたシャロンは妊娠8ヶ月であったという。何とも無残な人違い殺人であった。

 

3 チャールズ・マンソン

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自身をキリストの生まれ変わりだと称す。(写真中央)

西部劇のロケ地にも使用されていたスパーン牧場を事実上占拠して若い女性を中心とするコミューンを形成。(牧場主、ジョージ・スパーンは目が不自由な老人で、労働と引き換えに、マンソンファミリーを住まわせた。)

68年に発売されたザ・ビートルズの「ホワイト・アルバム」の「セクシー・セディ」から啓示を受けたと思い込み、人種間戦争「へルター・スケルター」(この曲も同アルバムに収録)に備え戦闘訓練なども行っていた。

チャールズの「へルター・スケルター」妄想は当時躍進し始めたブラックパンサー党をはじめとする黒人勢力への危惧が原因にあった。

1971年に死刑判決が出たが、2017年に病死している。

 

4 Once Upon a Time…とは

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1969年という時代、独立系の若い監督たちによる世相を反映したアメリカンニューシネマが登場し、夢や希望を与える古き良きハリウッドの時代が終わりを迎えた。

「Once Upon a Time…」とはおとぎ話の冒頭に使われる常套句。日本では「昔、昔…」と訳される。

つまりタランティーノにとってこの映画は、彼が6歳から7歳を過ごした時代を懐かしむ趣きだけではなく、リックとクリフという二人の架空の人物が69年のハリウッドにいたならばこうなっていたのではないかというおとぎ話になっているに違いない。

 

 

付録:60年代後半ハリウッド年表

1967年

6/20 『俺たちに明日はない』公開 アメリカンニューシネマの始まり

夏  サマー・オブ・ラブ(サンフランシスコのハイトアシュベリー地区に最大10万人

     ものヒッピーが集まった。ヒッピーカルチャーが開花する。)

1968年

1/20  シャロン・テート、映画監督のロマン・ポランスキーと結婚

6/12 『ローズマリーの赤ちゃん』公開 監督はシャロン・テートの夫、ロマン・ポランスキー

11/25 ザ・ビートルズ、通称「ホワイトアルバム」発売

 

1969

6/18 『ワイルドバンチ』公開

7/14『イージー⭐︎ライダー』公開

7/20  アポロ11号、人類初の月面有人着陸

8/9   シャロン・テート殺害事件

8/15~17 ウッドストック・フェスティバル開催(cf,『ボヘミアン・ラプソディ』)

10/01『明日に向かって撃て!』公開

 

参考文献

映画秘宝10月号」2019年9月発行