『イニシェリン島の精霊』と私の逃避行

『イニシェリン島の精霊』を観た。※ネタバレあり

フランシス・マクドーマンド監督の新作として楽しみにしていた本作。

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本作は中年男性の「次したら絶好やから!」的な小学生のような喧嘩を描く作品である。というのは表面的で、この喧嘩・この二人が象徴するものは「内戦」と「愛」であることは明白だ。

 

昨日まで仲が良かった二人が些細な行き違いをきっかけに暴力にまで発展するというシナリオは明らかに内戦を連想させ、時事的な側面ではウクライナとロシアの戦争のことも想起させる。

国際的に賞レースで本作が支持されているのもこの内戦を巡る話を寓話的に個人に置き換え普遍性を持たせた作品であることが大きいだろう。

 

また劇中でも間接的に指摘されるようにコラムはマードックのことを愛しており、それはこの時代・この場所では言えないこと事であるのは想像に難くない。

何度も慈愛に満ちた目でマードックを見つめるコラムの表情、そして突き放しても愛してしまったが故に突き放しきれず自らを傷付ける彼の行動を観客だけが俯瞰した目で見つめるのだ。

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今まさに語るべき主題をこの幻想的な風景のもとで作り上げた『イニシェリン島の精霊』が傑作中の傑作であることは私が書くまでのことでもない。

しかしこの映画を観て、私はあることを思い出した。目を背けて来たこと、自分でも言語化が出来ていないこの感情を幾ばくか書いてみたい。

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私はマードックと同じように突然関係を立ったことがある。それも二度。

一回目は二年ほど働いていたバイト先。

留学から帰って来てから一度も挨拶もせずに辞めた。同僚からの連絡にも返さず、バイトリーダーにだけなんだか「もうシフト入らない」といった曖昧なことを伝えた気がする。

彼女はこんな私に「ダメなバイトリーダーでごめんなさい」と言った。全くもって彼女が悪いわけではない。みんな優しくしてくれて「待ってるぞ」と送り出してくれたのに。

ハッキリと物を言うのが苦手な私は、このまま「辞めます」と言わないで辞められるならそれでいいやくらいの気持ちだったのだと思う。

 

そして二回目はついこの間、仲良くしていた女友達からのLINEに返信するのを辞めた。私の思い違いでなければ付き合う一歩手前な感じすらあったのに。

いやだからこそこれ以上仲良くなったら困ると思って突然返信を辞めた。

自分でも最低だと思うしもっと色んなやり方があったと思うのだがその時の私は返信することが出来なかった。今思えばやんわりフェードアウトすることもできたはずなのに。

 

この映画を観てからというもの、私がしてきたこの二つの「拒絶」「無視」が頭から離れない。

少し心臓がキュッとして後ろめたい気持ちになる。

今も下唇を噛みながらこの文章を書いている。

 

勿論謝ろうかと何度も思った。しかし向こうが忘れている頃にふと現れても嫌な思いをさせるだけだとも思いいつも踏みとどまる。

 

恋愛においても、バイトや人間関係においても期限が決まっている方が上手くやれる気がする。それは逃げだし甘えだしこの先の人生そんな態度では絶対にダメだ。同じことを繰り返してまた人を傷つけてしまう。

 

この映画を観て、無視される側の気持ちを味わい、正面から人と向き合える人になりたいと思った。

同じことをもう繰り返さないために。

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追記

『エンパイア・オブ・ライト』を観た。

この映画も素晴らしい作品だったがこの作品は自分の人生に向き合う映画だった。

まさに今私が観るべき映画であり、この先何度も観返すだろう。この映画とともに大人になっていかなければと強く思う。