文化的休日⑤

待ちに待った文化的休日。

雰囲気の良いカフェで近況報告をしながらカレーを食べる。エリックサウスのカレーはやっぱり上手い。
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そこから清澄白河の現代美術館へデイヴィッド・ホックニー展を見に行った。ホックニーとの出会いは大竹伸朗の著書「既にそこにあるもの」を読んだ時のこと。この本は、今日遊んだ友人におすすめされて昨年読んだ。そこに書かれていたホックニーに興味を持ち、こうして一緒に展覧会に行けたことが何だか嬉しい。

美術館へ向かう道中、友人が西東京と東東京の雰囲気の違いについて「言語化できない何かがある」と語っていた。東京で生まれ育った人の中にも東西の感覚があるのが面白いと思った。街の雰囲気というものは確実に存在するもので、今日一日を通しても実感することになる。

 

ホックニーによる、複数の視点を一つの世界で表現する試みがとても面白かった。

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彼の描く絵画には複数のショットが存在して、一枚の絵はそれらのショットが積み重なったワンシーンなのかもしれない。だから人物を描いた肖像画においても視線が合わないし、画面内の空間の生合成はたまに曖昧になる。遠近法を熟知しているからこそできる人間の認識への挑戦がとてもアーティスティックだった。

 

また、春夏秋冬の4つの時間、同じ道を同じように撮影した映像作品の空間があった。

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毎日映像を見て、たくさん写真を撮っているのにこうしたアプローチについて検討したこともなかったことに少し悔しい気持ちを覚えた。

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僕は何においても肉眼で鑑賞することに優るものはないと考えているが、ホックニーの展覧会は時間と視野という2つの要素に重点が置かれた作品が多く、また作品が非常に大きいため身体性を伴った作品鑑賞を楽しむことができた。久しぶりに鑑賞前と後で自分が生まれ変わったような気分になる展覧会であった。

 

展覧会を後に心地良い疲労感を抱えながら一息つく。変なタイミングでお土産を交換した。僕は帰省した時のお菓子を渡し、友人からはピカソの缶入りシガールを貰った。ヨックモックミュージアムにも行きたくなったし、素敵なプレゼントを選んでくれて嬉しかった。展覧会のお土産って良いなと思った。自分にばかり買いがちであるからたまには誰かへのお土産を展覧会で選んでみたい。

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その後は友人が何度も通ってるという古着屋さんに向かった。ここが非常に居心地の良いお店で素敵な服を買った。着た瞬間肌に馴染んで、着て来た服だっけと錯覚を覚えた。友達と服を選ぶのが楽しかった。

 

そうこうしてるうちに喉が渇きお腹も空いて来たのでビールで喉を潤すことにした。気になっていた洋食屋でビールとフィッシュ&チップス。サンクスゴッド!

清澄、蔵前の人たちは近付き過ぎない自然な距離感で人を迎え入れてくれる。今日行ったカフェも古着屋もバーも。この街の雰囲気はここで生活する人々が作っているのだろう。

 

軽めに食べた僕たちは二軒目に行かず、隅田川で語らうことにした。コーヒーを片手に。これがなんとまあ最高の気分で学生時代の時間の流れを久しぶりに思い出したような、そんなゆっくりとした空間だった。

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既にいい時間にはなっていたがもう少し話したかった。友人も同じ気持ちでいてくれたようで、もう一度お昼に行ったお店で飲み直した。ジンを水のように飲んで身の回りに起こったことを話した。

 

友人は力強く芸術の可能性を語る。僕も同じ気持ちではあるが、仕事柄商売として見ている側面が強くなっていて、世の中を変える力を持っていると本気で信じられてるだろうかと自問自答した。仕事は勿論利益を上げなきゃならないけれど、儲かるものと同時に、自分がやりたい、自分が信じる芸術に向き合えばいいんだと考えを新たにした。

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真剣な話と駄話を交互にしながら僕たちは歩いていく。

少しずつ考え方や感じ方が変わることを恐れず、知性と感性と芸術を信じて大人になっていきたい。